アクセス0。アクセス0。アクセス0。アクセス0。アクセス0。アクセス0。アクセス0。アクセス0。アクセス0。アクセス0。
このブログ、アクセス0。これじゃあやる気もくそも出ない。だって見る人いないんだもん。電波の無駄使い。
ツイッターとかのほうがまだマシだと思う。あそこならハッシュタグつければいいねが少しもらえる。全く見られないこのブログよりははるかにマシだ。
そのツイッターにこのブログを宣伝すればまだちょっと見られるんだろうけどね。それも俺の求めるものとちょっと違う。
なんか偶然の出会いみたいのに憧れる。たまたま見つけたこのブログを読んだらけっこう面白い、またそのうち見てみよう、的な。
昨日のお笑いのネタでちょっとやってた、ボトルを海に放ってそれを見つけた人と交際するみたいな。昔はやってたらしい無線機を使って偶然会った人と話をする。そんな感じに憧れるのかもしれない。
アクセス0と比べたらYouTubeのほうがマシなんだな、と今は思う。あれはひどい動画でも再生数10くらいは行く。ただねえ、YouTubeの仕様で再生数まるわかりなのが困る。恥ずかしい。再生数10万がいっぱいのところで10なのはさすがに劣等感抱きまくる。せめて再生数見られるのにワンクリック置ければまだやる気でるんだが。
ちなみに俺、文字を入れたりそこそこのエフェクト入れるくらいの動画編集ならできるのよ。AVIUTLならそこそこの使い手。無料だから遊んでみなさい。
さっき言ってた無線機みたいな、インターネットの黎明期のサイトめぐりを思い出す。なんとなくリンクをたどってみたサイトが面白かった。ブックマークしとこう。2021の今ではツイッターなどに集中しててそういうのも廃れた。
…分母が違うんよ。昔はインターネットにサイトを作るのは一部のマニアックな技術者で発信者自体が少なかった。今は逆でツイッターなんかアカウント作るだけで誰でも発信者になれる。1/100くらいだったのが10000/100くらいになってる。(。´・ω・)ん?逆か?とにかく発信者が多すぎる。アクセス0なんて10年前のヤフーブログですらなかった。
以前と比べて俺の口が悪くなったという根本的な原因もあるかもしれんが。人の目を気にしなくなっただけで中身は変わっとらんのだがね。ひろゆきうぜえ。
と、グチグチ言ってるうちになんだかんだ文章書くこと自体けっこう楽しいことを思い出した。ただアクセス0はなあ。しつこいね。
ま、この文章をいずれどっかの誰かがなんとなく見てくれることを願って。ハッシュタグテキトーにつけとくか。
なんとなく1000文字で終わらせる俺。なんとなく作った顔文字→→(φ゜ω')y