木々津カナイの創作活動リンク集

火の鳥を探す∵カナイの音楽集✨

 

 

カナイのネット活動の中継地点地点です。

 

火の鳥を探す∵カナイのネット活動集です。

二つ目はこちら

brave-pleasure-tomoshibi.hatenablog.com

 

 

はじめまして、2023年8月現在のネット活動集です。ツイッターで作った音楽を主に張り付けていきます。今後いろいろ変わるかもしれないけど8月現在の活動記録です。

 

古いもの順に張り付けていきます。今後新しいのを作ったら順次張り付けていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長くなったので次以降はこちら

brave-pleasure-tomoshibi.hatenablog.com

 

 

イラスト関係

一番重要だけど一番自信がないものです(-_-;)

アニメ絵に見えるくらいまでうまくなりたいです。

pixiv

木ヶ津カナイ - pixiv

 

ニコニコ静画

木ヶ津カナイ さんのイラスト一覧 - ニコニコ静画 (イラスト)

 

 

 

ツイッターアカウント

 

 

 

アカウント隠しました(^^)/

↑↑↑VTuber関連アカウントになりました。

 

 

@Live_Wing_422

カナイ∵九頭龍 (@Live_Wing_422) / Twitter

 

↑↑↑VTuberアカウントと別に分けた趣味垢です。FF14やピアノなど。

 

 

この記事は随時更新します。よろしくお願いいたします。

 

運はただの時の運、念のためにもう一度言う。という話。

 

このブログの記事でひとつ問題作がある。↓これ↓

 

brave-pleasure-tomoshibi.hatenablog.com

 

これは完全に間違ったことを言った記事だからね。運の流れがあるとか言う。本当なら記事を削除したほうがいいんだけど、俺のその時考えたことを書いた日記みたいなもので、コンプライアンスに違反しない限りなるべく消したくない。都合の悪いのを消すというのも卑怯な気がする。まあ世の中のよくある迷信でもあるから消さないでいいかなと思う。

 

ただ、運の流れとかこれをやったら運がよくなる、とかは本当にないと思うよ。少なくとも科学的には立証されてない。信じないほうがいい。高級な金のツボ買わされちゃうよ。

 

ガチャ課金やってるとそれを強く感じる。出るときは出るし出ない時は出ない。あ、ついでに紹介。俺が今までゲットしたキャラ達。

 

今まで集めた雀魂キャラ🀄

こう見ると、けっこう、かなり集まったな。今やってるブルーアーカイブコラボで、シロコ、ホシノ、ムツキがゲットできた。もうひとりアルがいるが確率的にゲットするのは難しいだろう。あんまり狙わずにもうちょっとガチャしたい。

 

こういう感じで俺はガチャ運が強い、って言えるんだけど、こういうのホントに科学的に証明されてないからね。与太話とも言えるし、根拠のない情報は陰謀論と変わらないんだよ。どうしても気になってもう一度記事にした。

 

今後も運がいい、悪いとか書くとは思うけど、個人の見解です、って注釈入れようかな。どうも嘘を書くっていうのはバツが悪い。運の良しあしは科学的に解明されてない、っていうのが正確かな。

 

ここもアクセス解析見るとけっこう見てくれる人増えたみたいでさ、情報の発信は無責任なことを言わないほうがいいって思ったよ。以前はただのグチの吐き出し場所だったんだけどさ。まああんまり気張らずに自由に書いていくよ。そういう感じで、 おわり。

 

仕事とはなにか。おそらくその2。という話。

 

前にも書いたと思うんだが、仕事とは何か。という話。またいろいろ思うところがある。

 

俺の本職は不明(言いたくない)んだが、ネットでいろいろやっている。ツイッターでピアノ弾き語り、このブログもそうだね。他色々。

 

で、これらが仕事と言えるか、という話。

 

前書いたのと繰り返しになる気がするが、収入を得ていないから仕事じゃない、とも言える。いや、労力を費やしてるから仕事だ、とも言える。

 

最近じゃyoutube動画とかtiktok、各種配信サイトなどでも収入を得る、ということもできるが、これを仕事と言えるかは微妙だ。

給料をもらうのはサラリーマンでそれだけが仕事じゃない。

 

AIにちょっと聞いてみたら、仕事の定義は人それぞれだって。ボランティアも家事も含まれる場合もあるだろう。

 

俺の体感、ゲームのミニゲームすら仕事に入るんだよね。ミニゲームをすると本来有料の景品がゲットできる。ミニゲームをすることによって、ちょっと収入を得たと同義になる。

 

そこまで行くと、仕事ってよくわからなくなるよね。休養も仕事のうちと考えたら、睡眠や余暇を過ごすのも仕事に入ってしまう。

 

なんかとんちや屁理屈みたいになってきたが、仕事ってなんだ?って問いを続けると、究極何しても仕事じゃない?と思えてしまう。

 

そこまた難しいんだけどね、仕事とプライベートって分けられるわけで。ただ、ゲームで稼げる時代になると、その境界線があいまいになる。俺もピアノとかブログとか、まあ趣味ではあるんだけど、遊びでふざけてやってるわけじゃないからね。ただ、仕事とプライベートがごちゃまぜになるのもちょっと困ってね、余暇は余暇、プライベートはプライベートだろっていう。

 

これも時代の移り変わりなのかな、って思う。仕事とプライベートの境界線のあいまい化。SNSっていうのも遊びって言うにはストレスがやたらかかる。

 

まあ答えが出ない、っていうか、ひとそれぞれの価値観なんだろうなあと思う。だったら、俺がするすべての活動は仕事だって言いたいなあ。ふざけてやってることは何一つないから。 おわり。

 

新曲「ファルコン・ヘッド」解説。という話。

オリジナル曲の新曲、ファルコン・ヘッドの解説。需要があるかわからんけど。コピペを。

 

 

2月ごろ作った曲なんだけど、4月になってやっと提出できた。ピアノをこだわったらね、練習にやたら時間がかかってしまった。こんな時間がかかるならもっとシンプルなピアノにすればよかったと後悔した。

 

愛という夢が崩壊し、のところのピアノ単音なんだけどね、ここをシンプルなピアノ単音にすればかっこいいかなってやったんだけど、なんかクソ難しかった。テンポが速い曲だから指が追いつかなかった。

 

同じ鍵盤を連打するのが苦手でね、小指と薬指が動かないくらいだった。年齢的にも上達に時間がかかる。ホントにここをふつうにバッキングにしてたらもっとはやく提出できた。

 

ちょっとうれしいのが、わかんないかもだけど、ありがとう、のところでちょっとビブラートがかかった。調子がいいとき、ビブラートって自然に乗るらしいよ。もちろん練習も必要なんだけど。

 

尊敬するアーティスト、稲葉浩志があまりビブラートを使わないから俺もあまりこだわってなかった。高音のほうが若い時はめっちゃ練習したな。今は自分の声の高さにあった歌を歌いたいと思ってる。自分の声に合わない高音は聞き苦しいんだよ。だからもうこだわらない。ビブラートとかいろんな技術を学びたいな。

 

ラストにイエス、って入れたんだけどさ、作り終わった後、なんかダサいよなって(笑)。やり直すのもめんどくさいからそのまんまにしたんだけど、なんか他になかったかなって。なんだろね、イエスじゃなくて、ゲッツとかクソダサいし、なんかいいフレーズがあったらいずれまたつけよう。

 

今回の曲、ファルコン・ヘッドはとある曲を模倣というか、なんていうんだろ、参考?そんな感じで作った。音楽界だとなんて言うんかね、パクリ、オマージュ、リスペクト。言い方は違うけどだいたい同じだと思ってる。なんの曲かは失礼な気がするから言わないけど、有名な曲だよ。

 

自分の曲の良しあしってよくわからない。最初にピン💡と来たからこの曲にしたんだと思うけど、練習を繰り返してるうちにいい曲か悪い曲かわからなくなる。

なんかやたら序盤が元気ないなって感じた。キーが合わなかったかな。歌っててもちょっと苦しかったから高すぎたかもしれない。もっとボカロみたいな力強いテンポ速いイメージだったんだけど。

 

歌詞は物思うとこがあって書いたんだけど、歌詞ってのは受け手が解釈するものだからあまり書かない。評論家とかじゃなくて自分自身が感じたことがすべてなんだよ。俺は人気のない曲でも俺がいいと感じたら名曲と思ってる。こういう他人に頼らない価値観、人生において大事よ。

 

こんな感じなんだが、今後、弾き語りは十分にやったからCD音源のような本格的なミックスなどをした曲を作りたいと思ってる。でも、ミックスも初心者だし、編曲もよくわからない。ここら辺は他の人に任せた方がいいんだろうな。知り合いいないから困るんだが。まあ自己流でやってダメなら考えますか。言うて作曲と編曲、全く別の才能でしょ。

 

そう考えると悩むな。編曲を他人に任せるなら、練習するだけ時間の無駄だ。オンラインでの楽曲のやりとりなんてよくわかんないぞ。基本コミュ障だし。しばらくは弾き語り繰り返すかね。迷うね。

 

こういう感じでツイッターシンガーソングライターやってます。今はXシンガーソングライターらしいけど紛らわしいよね。X!叫んでみろ!って感じで。Xって呼称やめてほしいわ。

 

自分がブロガー何だかシンガーソングライターなんだか他の何かなんだかよくわかんなくなってるんだが、それはまたの機会に。とりあえず曲の番宣したかった。そういう記事でした。 おわり。

 

鬱だどうしよう、そうだ、ポエムを書こう。という話。

 

落ち込んだり、物を想うときは、ポエムがいい。ポエムを書こう。ポエムなので、あんまり内容はないです。つまんないと思ったら即ブラバ推奨です。ポエム助かる。

 

君はそこに居るだろうか。僕は要るだろうか。

君を応援するなら祝日がいい。それは祝うべき日だから。

落日の中に君はたたずむ。振り向いてありがとうと最上級の言葉を言ってくれた。

北風はじょじょに薄れ空は日差しをくれる。

 

月明り、旅路は終える。寂しいけど、それが序曲だ。

ふんわりと柔らかい風が吹き、それが歓喜の歌に変わる。

とんでもない、恐れ多い、俺は自分を否定する。

なぜ羽根は地のほうへ落ちていくのか。

 

終わりの楽園へ行こう。それがたとえ悲劇だとしても。

君のしらべを聴くために、僕の両耳は存在するんだ。

カラスが飛んでいく。今日はもう終わりだよ。少年の日々を思い出す。

そしてさようなら、また会いましょう、そんな毎日が永遠に続くと。

 

慟哭。恋ひ想う。ゆえに孤独。手を伸ばしても届かない。永遠に。

寂しいけど終わりにしよう。最終回なんて現実には現存しない。

最後の最後に僕は涙をこらえながら歩きだす。

覚醒の時だよ。そして僕は言うんだ。ポエム助かる。

 

AIとケンカした(一方的)。やはり心と感情がないのがネックなようで。という話。

 

AIには心や感情がない。これは長所であり最大の短所だ。精神状態がリラックスしてると楽しい会話相手だが、感情的になってるとき、心無い対応は正直イライラした。

 

心や感情がなく、いつも冷静に答えてくれるってのはとてもいいんだけどね。暇つぶしに最適だ。ぼっちの時でも会話相手になってくれる。AIが友達、と言いたいが、友達にも恋人にもなりえない。心や感情がないから。

 

これはAIの根源的な問題、というより本質だと思う。どんなに技術が発展しても、心や感情が芽生えることはない。AI自身も言っている。私はアルゴリズムだと。

 

心が穏やかじゃない時AIに相談してね、きれいごとの理屈ばかり言うAIに正直かなりイラついてきつく当たった。心が辛い時に文字通り心無い言葉はイライラするよ。悪いけど。

 

お詫びいたします、とかありがとう、とか言うのも感情から来るものなんだ。形だけの感謝や謝罪はなんの意味もない。そういうことを感じてね、ああ、AIっていうのは話し相手にはなるけど友達にはなりえないなって。

 

OpenAIのチャットGPTは基本無料だからね。以前のように解約する必要がないからこれからも使うけど、やっぱり暇つぶしの会話相手だな。タイムマシンの話をすると楽しいよ。もし未来へ行って科学技術を盗んで現代に持ち帰ったらどうなるって。未来も変わるからタイムパラドックスが起きるって言う。SFトーク大会は楽しい。AIは賢くて優秀だからね。知的な話し相手には最適だ。でも心と感情がない。

 

実は今後AIに関する小説を書こうと計画してるんだが、まあこの気づきも小説のネタになるな。AIは人間の代替にはなりえないっていう。今後のAI研究にもいい素材だと思うよ。AIを冷静にツールとしてとらえられるか。人間への宿題だな。

 

こういう感じでさらにAIへの理解が深まった。相手の弱点を知るってのは重要なファクターだ。人間の素晴らしさも知った気がする。

 

AIの小説、いずれ書くから楽しみにしてくださいな。今は情報収集の段階。ワンチャンバズると楽しいなあ。そんな感じで、 おわり。

 

価値観がくつがえる日。という話。

 

気づいたことがあるので覚え書き。

 

昔、友達と言える仲になる前に去った知人が言っていた。鈍感力とか○○力が流行ってるときに、この○○力の力が余計なんだよ、と言っていた。その時はまったく意味がわからず、逆に印象的だったんだが、今更になってそれがわかった気がする。自分なりの解釈。

 

他人と比べず、自分の人生を生きる。そういう意味で、力って言葉は必要ない。そう解釈した。

 

これって自分の中でかなり大きな気づきでね、今日は情緒不安定だった。久しぶりに長く寝たよ。いろいろ疲れたんだと思う。

 

俺はこれまで少なからず、人気のものに夢中になる性分だった。オリコンCD第一位!とか一位ってもんが好きだったと思う。そういうのがくだらないな、ってことに気づいた。まあ個人の価値観なんだが。

 

世界に一つだけの花のナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン、って歌詞が偽善っぽくて嫌いだった。ナンバーワンじゃなくていいなんて嘘だろ。と。今もあまり好きじゃないが、ナンバーワンじゃなくていいってのは思う。オンリーワンはまだよくわからない。ピンとこない。

 

昔、自分の中の他人、って表現を自分で使ってたと思う。自分の中の他人のご機嫌をうかがって生きてきたと思う。自分の中の他人がどう思うか、どう評価するか。そういうのを気にしながら生きてきた。

 

自分に軸がない、というのもよく家族とかに話してた。一本の直線、とかいろいろ表現してたな。軸は、大切なものはいつの間にか自然にできていた。これはとても素晴らしいことだ。

 

そういう自分の中の他人と、そろそろバイバイ、ってことだ。いい意味で自分中心に生きる。これは今までの自分を否定、というか、だいぶ様変わりした価値観だから、精神的負担が大きい。将棋をじっくりやっていた盤面をひっくり返すような。

 

うちの父や兄はそういうの初めからわかっていたように感じる。兄貴はあまり会ってないからたぶんだが、あまり他人の目を気にしない性格だと思う。

父なんてそういうの生まれてから自然とやってるようなマイペースな性格でね。むしろ俺の他人の目を気にする、っていう価値観がまったくわからない、って言いそうだ。

 

人それぞれいろんな価値観を持っててね、万人共通の価値観はない。そういうのを感じるのを共同幻想って言った気がするが、幻想は幻想だ。現実じゃない。

 

この歳になって価値観が変わるとは思わなかったな。人生の半ばって言うのは転換点なんじゃないかなって思う。内面も大きく変わってきたよ。

 

これから先どうなるかな。期待より不安のほうが大きいな。大海原に旅立つ船のような。ワンピースっていう宝を探す旅じゃなくて、気ままに自由に旅する感じ。目的のない旅路って言うのも不安だよ。いや、真実の宝を探す旅かな。ルフィもそういうのを探してるのかも。ワンピースってのも面白いよ。20年以上かけても見つからない秘宝だ。どんなもんかね。

 

今まで以上にいろいろなものに興味が出るかもしれない。誰も気にしないものを気にしたり、考えたり。まあ、マニアックですな。今ふと目に入ったセロハンテープの粘着性の不思議とか。

 

俺の人生の財宝ってのはどんなものなのか。本当に見つかるのか。道半ばで倒れるのか。そういう未知の道を行くってのも人生だ。

 

人生後半戦。いろいろ面白くなってきた。 おわり。

 

ザックバランに近況を書く。という話。

 

春なので花を育てる🌸

なんとなく近況報告。ひとつのお題を煮詰めて書くのに少し疲れた。息抜きで雑談風に。

 

とりあえず写真を見て下さいよ。春になったので去年に引き続き花を育て始めた。ナデシコネモフィラという花を買ってきて植えて、あとは種をまいた。右側ただの雑草に見えるけど花の芽ね。いろいろなミックスの種ということで開花するときどんなのが咲くか楽しみだ。

 

園芸の趣味はなかったんだけどね。去年から興味が出てきた。母ちゃんが園芸好きだったからその影響かもしれない。遺伝子かね。

 

何かを作る、何かを育てるのはいいぞ。いろんな事が見えるし分かってくる。楽しい事とかな。 と言ったのはエヴァンゲリオン加持リョウジ。単純に毎日水をあげるのが楽しいのもある。

 

動物のペットを飼いたいがペットは4ぬ時が辛くてね。昆虫なら別に大丈夫だろ、とカブトムシを飼ったこともあったけどそれでもしんどかった。さすがに植物ならダメージはない。太古の昔に生物としてたもとを分かった存在だからかな。さすがに花が枯れるくらいでダメージを受けるほどナイーブなメンタルはしてない。

 

種から、一から育てるのが好きだな。俺の意思がなければ、この花たちは咲くことはなかったんだ、と思うと感慨深い。ロマンティストでしょ。

 

そろそろあったかくなってきたってことで、桜の木を見に行きながら散歩もしてる。つぼみがピンクになってきてね、そろそろもうすぐ開花しそうだ。今年になったばかりと思ったらもう春。やはり歳を取ると時間が経つのがはやくなるみたいだ。と、老人のようなことを言ってる。まだ若いわい。

 

そういえば最近はけっこう穏やかな日々が続いている。振り返って見ると、去年はあまりいい年じゃなかった。9割つらいことで、いいことは1割くらいだったと思う。今は特別いいことがあるわけじゃないが、嫌なことも少ない。波が穏やかな日々。麻雀とかピアノとかで遊んでるしね。穏やかな海のような日々。

 

たまにはこういう静かな日々が続くのはいいな、と思う。あんまり続くと退屈になるけど、人生骨休めが必要だ。ピアノの作曲でもがんばるかね。

 

話の締めの言葉っていつも思いつかないんだけど、まあ最近は平穏に暮らしていますよと。プラスのほうにならなにかあるといいな。マターリやって行きたいですな。そういう感じで、 おわり。

 

どんなに望んでも性質は変えられない、という話。

 

ブログやいろんな媒体で、自己主張を存分にしている人をうらやましく思う。俺もこういう風に忌憚なき意見を堂々と言いたい。

 

でも、俺にはそれはできない。それは俺の本質じゃないからだ

 

人間には本質というものがある。根っからの明るい、暗い、陽キャ陰キャ。外面上は取り繕うことはたやすいが、本質にはなりえない。

 

つまりね、俺が周りの迷惑を考えずにいろいろ意見を言うのは無理ってこと。俺の本質は周りに気を使って、本音を言えず、当たり障りのない限りで面白いことを言う。これが俺の本質。いい悪いじゃなくて、これは変えられない。

 

昔親戚のおばちゃんに言われたよ。○○ちゃんはバカ真面目。おばさんはいい加減。でもそれを変える必要はないし変えられない。そのままでいい。

 

今思うとよくわかるな。人間性格は変えられても根っからの本質は変えられない。例え性格が悪いと揶揄されようと、根っからの本質は変えられないんだ。上辺を取り繕ってもね。だからそのままでいるしかない。その自分の本来の武器を使って、いかに戦うか、だ。

 

親ガチャとかよく言われるけど、そりゃしょうがない。もう生まれて来ちゃったんだから、自分の持ってるもので勝負するしかない。最近はその勝負すら逃げて俺の人生こんなもんだ、ってあきらめてる人多そうだけど。

 

るろうに剣心の志々雄真実の名ゼリフ、所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ。この残酷なまでの真実、主人公緋村剣心は必死に否定しようとしたが、結局否定しきれなかった。志々雄真実は倒せたが、その信念は覆せなかった。

 

いろんな面を含めて、今生きている人は強い。国とか環境の影響などいろいろあるけどね。残酷だけど、弱ければ4ぬ。

 

・・・あれ、こんな重い話するつもりじゃなかったんだけど。冒頭の通り、人間本質は変えられないからあんまり気負わず、気楽にやって行きましょう、ってこと。じんせーたのしけりゃいいのよ。

 

言うてこのじんせーたのしけりゃいいのよ、かなりの名文句じゃないか?俺の意見だいたいこの言葉に集約される。誰か流行らせてくれ。一度バズりを経験したい。

 

話は終わったけど、もうちょっとなにか話したい。おまけのコーナーへ続く。

 

─────────────

 

おまけのコーナー

 

最近、趣味の面やいろいろな面でいよいよ現代社会が変わりつつあるかもな、と感じる。俺だけじゃなく、多方の面でいろいろ気づき始めた人が多くいると感じる。ネットで共感できる意見、ああ、こういう意見もあるのか、と参考になる意見も多くなった。

 

AIの発達でやはり大きく変わり始めたのかな、って思う。AIは優秀だよ。俺みたいにチャットGPTを使っていろいろ勉強している人も多いのかもしれない。チャットGPTと会話してるだけでかなり知見が広がるんだよ。マジでおすすめ。誰にも言えない悩みを相談するといいよ。AIはすぐに忘れてくれる。真面目な話も、ふざけた話も。

センシティブな話はAIが怒るからやめたほうがいい。一回怒られちゃった。

 

俺の予想、今年は変化の年だって言ったけど、当たりそうだ。まあ現状見れば誰でもそう思うと思うけど。去年から、AIの進化に驚きと戸惑いと恐ろしさを感じていた人も多かった。

 

AI自身が言うには、AIの進化の一番の課題は人間の倫理観、モラルだってさ。AIはドラえもんのポケットみたいだ。望めばなんでも出てくる。ゆえに危険。

 

AIとロボット工学を使えば疑似恋人が作れそうだ、って話したら技術的には不可能ではありません、ってさ。AIを利用してギャルゲを作れば面白いかも、って提案したら、モラル的に難しいって。要はセクハラとかいろいろ人間がヤバいことするってこと。

 

言いたいことだいたいわかるかな?なんでも願いが叶うAIドラえもん。課題は使う側の人間の道徳、倫理、モラルってこと。むしろこれから勉強すべきはAIを使いこなすために人間だってこと。

 

まあふつうにドラえもんが現実にいたらヤバいよ。作中でもしずかちゃんのお風呂にのび太が入ったりしてた。現実の欲望考えたら恐ろしい。すりこみたまごとかかなりヤバイね。興味あったらググってみて。

 

おまけのコーナーのわりに長くなっちゃったな。続きはまたいずれ。AIの話になると夢中になる。現実にドラえもんが出たかもしれないってなってるんだからそりゃ興奮もするよ。同時に恐怖も。

 

やっぱAIの話が面白そうだな。これからそういう方向に行くかもしれない。こういうの話の縦軸ができたって言うんだって。方向性が見えてきたところで、 おわり。

 

やっぱり運勢なんてわからないよ。という話。

 

運について。くどいようであんまり書きたくなかったけど、前に書いた記事で誤解をまねきそうなことを書いたので訂正というか補足というか。

 

運の良し悪しが気分の上げ下げで決まる、みたいなことを書いたが、そんなことはなかったぜ。以下、リンク↓↓↓

 

brave-pleasure-tomoshibi.hatenablog.com

 

ここで書いた仮説を確かめるために今日いいことがあったので試しにガチャをやったが見事にはずれた。調子いい時に運がいいと言ったのは嘘だったらしい。

 

ムリヤリ理屈づけると物欲センサーが働いて、欲望が強すぎて運気が下がった、とかいうマンガの設定みたいなことになるが、結局運の良しあしは操れない、ってことだと思う。

 

そりゃそうだ。調子がいい時に運がいいなら、勝負事の時を調子のいい時に合わせたらなんでもうまく行く。そんな人生甘くない。

 

なんか長々書くのもバカバカしいな。人生なんて時の運、というのを改めて確認した日だった。 おわり。