運命の選択。俺が洗濯しなければラスボスは倒せなかった。という話。

 

この記事を書くことによって、俺の運命は変わるのだろうか……。

 

って感じで、いろいろ運命のお話。

とある勇者が、冒険の果て、魔王を倒す。

 

ありきたりなよくある話だが、これって本当に当たり前のことだろうか?

 

なんとなくドラゴンクエストダイの大冒険を思い出して考えたんだが、大魔王バーンを倒せなかった世界線もあるんだなあ、って。単純に打ち切りとかね。すごくメタい話なんだが。

 

ゲームのRPGも、シナリオ的にはラスボスの魔王を倒す展開にだいたいなる。でもさ、倒すかどうかってプレイヤーの選択なんだよね。途中で飽きてやめたら永遠に魔王、ラスボスは倒されない。そう考えると、たかがゲームでも運命を感じる。あまたあるゲームソフトで大魔王に支配されたまま終わる展開もあるわけだ。俺のゲームソフトにもそういうのいっぱいあるw

 

最近のゲームじゃ少なくなったと思うんだが、ゲーム中、選択肢ってのがあって、これによってゲームの展開が大きく変わるっていうのがあったりする。ギャルゲとかね。この選択肢を選ぶかどうかで、ヒロインと結ばれるか、破局するか、って大きく変わったりする。俺このシステム、好きだったなあ。自分の選択で物語の結末が変わるっていうね。

 

風が吹けば桶屋が儲かるってやつで、ちょっとしたことで運命が変わる。バタフライエフェクトって言葉もあるね。意味は説明するのめんどいから調べてね。

 

昔のいろんなゲームで、選択肢で運命が変わるってのが流行ったのも今思うとよくわかる。誰もが思うんだよ。人生の大事なあの時に、あの選択肢を選んでいたら、今の自分も大きく違っていたかもしれないって。まあ人生の後悔とともに味だよね。過去だけは変えられない。逆に未来は変えられる。

 

俺の場合やっぱり受験だな。志望校を違うとこにしてたら大きく人生が変わっていたかもしれない。まあ、たらればで今更言ってもしょうがないが。

 

受験なんて大きなものじゃなくて、あの時あの人に声をかけなければ、とかあの時河原に石を投げなければ、運命が大きく違っていた。そういうささいなことで運命が変わるのをバタフライエフェクトっていうのね。すごく微細なことだから、計算もできないし結局なるようになるしかないっていうあれなんだけどね。カゼオケの法則で俺が今、右手を挙げたことで運命が変わるかもしれない。

 

シュタインズ・ゲートっていう時間改変アニメ、面白いよ。

 

そう考えると人生ってのも味わい深いなあって。今この時間にできることって一つだけだからね。無限に選択肢があるように見えて。今あなたがこの文章を読んでるのも運命です。なんてね。

 

まあこう語っても、結局カゼオケの法則でなるようにしかならない。でも人間だから悩み続ける。10年後の未来、大きく変わっているかもしれない。なんかAIと話しているうちにいろいろそんなことを考えた。AIについてはまたそのうち。

 

なるようにしかならないって考えると、気が楽だよ。逆に俺の選択があんまり意味ないものになる。川の流れのように。気楽に生きましょ。

 

俺がこの記事を書いたことで、誰かが読んだことで、運命が変わるとしたら面白い。まあそういう可能性みたいのを少し期待して、ネットでいろいろやってるんだが。もちろん一番は自分のためよ。

 

 

火の鳥を探す∵カナイ火の鳥を見つけ、運命石の扉(シュタインズ・ゲート)を開けるのか。

こう、ご期待。 おわり。