たまにはお気持ち。落ち込むときは落ち込むのよ。という話。

 

お気持ち。このブログでふだん偉そうなこと言ったりしてる俺だが、まあ空白期間はよう落ち込んどる。正直ね。

 

男としての二択で、男は弱みを見せてはいかん!隙は絶対に見せない!っていうのと、甘いな、人生は隙!隙だらけ!強さも弱さもすべて見せるのが真の漢よ!っていうのがあるんだが、俺は男は弱みを見せてはいかん!派だったのね。でも最近少しは隙を見せたほうがいいのかなあと思ったり。隙は好きっていうしね。今更くだらねえこと言うな。

 

このサイトは俺に興味がある人しか見れないようになってるのよ。だからどこに書けばいいのか、現実でも誰にも言えない、って言う時に最終的に書きたい場所がここになる。王様の耳はロバの耳だよ。本当に。

 

世の中誰にも言えねえ、ってことが結構ある。だれだれが好き、とかね。言うて本音を言える人や場所ってほとんどないよ。好きな人ってのは親友くらいにしか言えないと思うけど俺にはそんなのいねえ。もちろんここでも言わないよ。好きな人が大事な人ほど言えないよ。学生時代はけっこう気楽に話してた気がするけど。誰にも言えねえ。

 

このサイトでお気持ちくらいはいいだろうと思う。俺の人生の問題だ。誰にも言えねえってのは本当につらい。大事なことを話せる友達、親友、あなたにはいますか?

 

『私が死んでも代わりはいるもの』。けっこうな歳の世代ならよく知ってるセリフ。エヴァンゲリオン綾波レイの言葉だ。監督の庵野秀明さんはこの言葉、どのくらい考えて綾波レイに言わせたのかな、って考える。人生において重いよ。

 

でも平成のバブルのころの作品って、重い言葉を軽く言ったりする。正直どこまで言葉の重みをわかって言ったか、懐疑的だ。かんたんに言わせたとは思わないんだけどね。

 

この言葉が重いのは、この言葉を否定しきれない所だ。自分がいなくても代わりはいる。だいたいの人がたまに思うことじゃないだろうか。これは俺の思い込みというより、一つの『気づき』だからね。元木ヶ津カナイがそろそろ本当に気づき始めた。前はいや、さすがに気づいてるやろう、と思いながら冗談で木ヶ津カナイだったが、さすがに気づき始めたと思う。これからもいろいろ気が付くだろう。

 

自分がいなくても代わりがいる。これはほぼ真実なんだよ。通りすがりでこんな言葉を見た人にはいきなり言って申し訳ないけど、社会で働いてる人ほど感じるんじゃないかと思う。いろんな意味で、自分の代わりはいる。

 

代わりがいないのって親くらいじゃないかなあ、と今日考えてた。あんまり触れるとタブーになりそうだから書かないが。

 

そういうことを考えて、今日は落ち込んだ。さらに俺の人生経験から言うと、また何かに気づいて立ち直るんだが。そしてまたさらに何かに落ち込む。立ち直る。人生その繰り返し。その果てにハッピーエンドは訪れるんだろうか。

 

お気持ち長文レシートって言葉めっちゃ笑えて好きなんだが。1000文字以上書けば長文レシートにはちょうどいいだろう。お会計は18320円だ。

 

誰かの一助になれば、とこういう文章書いてるんだが、まあ私の代わりはいるもの、じゃなくて、誰かの、大事な人の助けになれればな、と思うよ。代わりはいくらでもいるなんて考えるのは寂しいもんな。そういう感じで、 おわり。