タイトルにコメントを読まれる方法、と書いたわけだが、「読まれる方法を教える」、とは書いてないわけで。言葉のトリックってやつ。叙述トリックか?よく知らんけど。詐欺師はこういうトリックを使って人をだます。気をつけよう。本当に。
まあ教えない、とも言ってないわけで、まあできるかぎりは伝えよう。今日はかなり気分がいいから。ただ、参考にはならんよ。
気分がいい理由は俺のハンドルネーム木ヶ津カナイを調べればすぐわかるんだが、そんな物好きなストーカーはたぶんいないだろう。この界隈ではストーカーはむしろふつうなので今さらいても驚かないが。
で、コメントを読まれる方法だが、結論はあるようでない、ないようである。が答え。これが答えだからしょうがない。読まれる人は読まれるし、読まれない人はたぶん一生読まれないだろう。
今日がそうだったんだが、コメントを書きこんだ瞬間、またはその手前、ああ、このコメント読まれるな、という確信めいたものがある時がある。で、実際今日そうだった。
まあ、絶対読まれないだろうな、っていうのが読まれることも多いから、結局運だよね。
仮に物好きなストーカーがいれば遅かれ早かれバレるもんだから、自分で言ってしまおうと思った。
相性がいい配信者には読まれる、悪い配信者には読まれない。俺もそうだ。で、相性がいいと感じると自然とファンになる。つまり、相性が悪ければ永遠に読まれないってことだ。
そもそもほとんどコメントを読まない人も多いしね。逆に言うと、相性のいい配信者を探せば読まれるってことか。気の合う配信者を探せ。
ある人が好んで使う言葉でシナジーというのがある。くわしくはggrks。世の中はもしかしたらシナジーでできているのかもしれない。
おそらく俺の身近で一番の恋愛の達人であろう父が言っていた。俺が存在するんだから相当な達人だろう。今酔ってるけど、意味通じる?
結局人生で縁がある人と結ばれる、と。父親の人生の実体験からくる言葉だ。真実に一番近いだろう。ソースは俺という存在。
人生シナジーなんよ、結局。縁があるかないか。シュタインズゲートの選択。俺にもだれかあるといいなあ。そんな感じで、がんばれ。 おわり。