ちょっとアクセスあった!♪ うれしー♪ ありがとー(^^♪
とキャラじゃない喜び方で始めてみる。名前を出すと迷惑そうだから言わんけどありがとうございます。
ちょっとのアクセスがあるだけで喜ぶ俺は子供みたいだ。かわいいもんだ。
こうずっとアクセスない状態からちょっとあると、変な癖(へき)ができそうだ。放置プレイ?焦らしプレイ?実はけっこうMなんか?
でもさ、こういう小さなことに喜んでるときが実は一番楽しいんじゃないかと思わん?一アクセスに一喜一憂する初心者にしかできない感覚。
これが人気者になって一万とかになったら(なったことないからわからんけど)、100アクセス増えてもなんとも思わなくなる、気がする。それってなんか違う気がする。
まあそういうのが目的じゃないからどうでもいいんだけど。俺は飲み屋でグダるようにしゃべっていたい。そこにたまに相席の人が来る感じ。いいね、俺の人生の象徴のようだ。
ついでに言うと、人気者になるというのは成功者になると同義とは思わない。それは価値観のひとつでしかない。大人になると価値観の多様性というのが見えてくる。主役ばっかりが主役じゃないのよ。
人生はオリジナルエピソードだ。周りからはクソみたいな人生に見えても、本人はけっこう楽しいかもしれない。逆もあるかもね。
少し酔ってるせいだろうか。なんとなくクサいセリフを吐いてみた。って、それが本題じゃなかった。人生において運が向いてるときと向いてない時がけっこう周期的にあるという話。眠いけどちょっとがんばろう。
最近東京に出かけたせいか、気分がいい。で、アクセスちょっとあったというちょっといいことが。その他いろいろラックが上がる。
人生を生きていると運の流れ、みたいなものを感じないだろうか。何をやってもうまく行かない、または今なら何をやっても成功しそうな高揚感。
こういうのある程度理屈づけられるんだけどね。何か失敗すると気分が落ち込み調子が悪くなる。注意力などが落ちさらに失敗する。逆も然り。でも、そういう理屈だけじゃ説明できない悪いことが連鎖することもある。全然関係ないものがつながる。
こういう運命論みたいなものはけっこう信じるほうだ。占いとか非科学的なものが今もあるのもそういう逃れられない運命をどうにかしたい気持ちからかも。
ちゃんとした風水ならけっこう信じられるかもしれない。玄関に金のツボ置くとかのデタラメのじゃないよ。こういう霊感商法には本当に気をつけな。
風水などは統計学から来ていると聞いたことがある気がする。実際しょっちゅう潰れて何度も店が変わる物件とかもよくある。
運命と仮定したら、抗えんよね。うまい抜け道があるかもしれんけど。
何が言いたいんだっけ?まあ、運の流れってのはあるから、うまく流れに乗ろう、とムリヤリ締める。寝る。