ネット時代の今でも代弁者は必要だなあ、という話。

 

代弁者というのはほぼ死語だと思っていたが、インターネットで個人が言いたいことを言える時代、それでも代弁者は必要なんだなあ、と最近強く感じる。

 

だって、俺が意見を言っても、誰も聞く耳持たないんだもん。

 

このブログ自体、ほぼ誰も見ていない。ゴーストはいるけどゴーストだからたぶんこの文章も読んでないだろう。アクセス解析で大体わかる。

 

これらは別に書く必要はないが、どうでもいいから書いておいた。

くだらないプライドはもう捨てた、というよりいらない。大切なプライドと矜持は持っているが。

 

で、代弁者の話。たしか「うっせえわ」とかいう歌の歌詞に代弁者という言葉があったが、うっせえわ、という言葉が代弁だとしたら、くだらない。それくらい自分の口で言える。代弁者はそんな意味じゃない。ちなみにこの歌が嫌いな理由はくせえ口とか歌詞とはとても呼べないただの悪口があるからだ。嫌いだからあまり知らんが。

 

インターネットがあるから今の時代誰でも意見が言える!みんな自由だ!って感じに俺も思っていたが、実際は誰でも意見が言える!でも誰も聞いていない!というのが現実みたいだ。

 

ツイッターは毎日たくさんの言葉が出る。出るけど見る?少なくとも俺はほとんど見ない。興味あるとこだけ。もちろん俺の意見も見られてないだろう。

 

そして昔は信頼していた、というかだまされていたテレビという存在も、コロナ禍で大事なことは放送しないということが露呈された。俺が気づくのが遅すぎただけらしいが。

 

とりあえず俺が欲しい情報 飯塚幸三、宮内庁関係、オリンピックをやる明確で納得できる理由の報道はほぼやっていないと思う。全部はチェックできないが。どれも今やるべき大切なことだと思うんだが。深くはやってない。

 

そのテレビの中の人、芸能人も言いたいことは言えないんだろう。

 

誰もかれもいろんな理由で言葉が届かない。結局影響力のある、権威に押しつぶされない、カリスマ的な代弁者が必要だという意見になる。

 

代弁者が必要だ、とは言うが、そんな人はいるかわからない。個人的にこの人なら、と思う人はいるが、書いても意味ない。

 

ドラマでいそうな代弁者、どこかにいませんか?俺にはムリなので。