雑な雑談をしてみるテスト、という話。

 

最近はずっとVTuberVTuber、といった生活をしているわけだが、なんとなくこのブログも更新したくなった。最近はやっとVTuber界も平和になってきた。

 

というわけで書くことと言えばVTuberのことしかなくなるわけだが、

 

推しのVTuberに迷惑をかけたくない、となると必然的に具体的な話題は出せない、という制約と誓約の中でVTuberの話をするのはとてもむずかしい。

 

結論として、雑な雑談をすることにした。プランゼロで書いているので、長くなるか短くなるかはわからない。

 

VTuber以外の話となると、アニメのかぐや様は告らせたいを見てることくらいかな。アニメというか原作が大詰めなのですごく気になっている。アニメも明るい展開のところなので笑えて面白い。

 

アニメと原作を同時期に終わらせるような気がするので、原作も残り数回、10回もないと思う。

 

ネタバレ嫌いな人も多いと思うので、これまたあまり深く話せない。語りたいことホントに山ほどあるのに、ホントに困った('A`)

 

まあ、アニメは無料なので、気になったらチェックして欲しい。面白いよ。気に入ったらマンガもアニメも全部チェックしよう。これが布教ってやつか。オタ活は最高だな

 

文章も500文字行ったみたいだし、こんな感じかな。ちなみに

ε(・ω・)3 ←←← かわいいよね。 おわり。

 

厄介リスナーには絶対なりたくない、という話。

 

例えば10人ひとが集まったとしたら、一人くらいは困った人が出てくるかもしれない。100人、1000人、1万人、10万人と増えて言ったらその確率はどんどん高くなっていく、という話。

 

俺はとあるVTuberグループにハマっている。もう八か月くらいになるだろうか。ただの一ファンであるだけのはずなのになんだかすごくいろいろなことがあった。

 

こんな嫌な思いをするならファンなんてやめようかとも何度か思った。最近は落ち着いてきたので楽しく推し活をしているが。

 

この界隈、っていうかどこの界隈でもそうらしい、アニメや漫画のファンの間ですら。厄介なファンほど有名になる。逆に良識のあるまともな人間のリスナーほど目立たなかったりする。ある意味当たり前か?

 

Vのリスナー界でも厄介有名リスナーがいっぱいいる。中傷になるので具体名は出さないが。

 

この文章を書く自体、厄介に入るのでは、と危惧する。自分なりにかなり配慮してるつもりなので、できればこれくらいは許してください、と誰にともなくお願いしたりする。

 

最初に書いた通り、人が多くなれば自然と迷惑な人は出てくる。仕方ないことだ。確率的に。俺が一番危惧することは、俺自身が厄介リスナーになってしまわないか。これが本当に怖いしいやだ。応援している人の迷惑になるなんて本末転倒もいいところだ。

 

今のところは大丈夫だと思う。変なまとめサイトに載ったこともないし、これくらいのファンブログもいっぱいあると思う。確認したことないが。

 

だいたい厄介リスナーってのは全体のごくごく一部だ。とてもすごくめちゃくちゃ声が大きいからいっぱいいるように感じるが、全体からすれば一割にも満たないと自分的には感じる。

 

俺が推しているVTuberの名前もここでは出さないようにしている。これも自分なりの配慮だ。ツイッター見れば一目瞭然なんだが、まあ、俺の気持ちだ。

 

今日はこんな感じかな。ネットを通じて推しのVTuberのサポートができるだけできたらいいな、と思っている。絶対に厄介リスナーにはなりたくない。 おわり。

 

推し活もやっと落ち着いてきた。ここVTuberが見るかもよ、という話。

 

このブログ、しばらく放置していたが、最後に書いたのが一か月くらい前らしい。

 

このブログ自体は本当に気に入ってるんだけどね、タイトルのじんせーたのしけりゃいいのよっていうのも、自分にとっての真実だし。

 

ただ、木ヶ津カナイ名義でネット活動をするってことは、下手をしたらこのブログを俺の推しのVTuberの人がみるかもしれない、ということだ。それはとてもとても光栄なことだが、逆にうかつなことは何も書けない、ということでもある。

 

じっさい厄介オタクという存在が、ブログやツイッターなどでキモイ文章を書きまくって、まとめサイトなどにさらされて、逆に本人に認知されるということもかなりあるらしい。俺がこの数か月で命を削って学習した情報だ。ホントに。

 

俺はそんな迷惑な存在として認知されてもしょうがないので、なるべく目立たないように推し活したい。

 

で、久しぶりにこのブログを更新する気になったんだが、最近は本当にすごく大変だった。とくに二月からはひどかった。この界隈を知ってる人ならわかる、大事件が発端で、ただの一ファンでしかない俺でもかなりいろいろあった。

 

なんか最近じゃテレビもストレスになるだけだから全く見ないんだが、世間の評判みたいなものがわからなくなった。俺にとっては大事件でも、興味のない人には全く知られていない事件らしい。多様性の時代らしい。世の中も変わったねえ。

 

最近になってやっと落ち着いてきた。形はめちゃくちゃ変わったが、結果的には元に戻った感じだ。心の平和がだいぶ戻った。

 

と、なんか近況報告をしていたら、書きたいことがなくなってしまった。

 

先に言った通り、キモ文章を書いてさらされてもつまらない。言いたい文句もいっぱいあるがここに書く必要がない。

 

でも、ワンチャンこのブログ、推しの人に見られないかなあという薄い期待もある。

 

いつか来るかもしれないその時のために、カッコいい文章を書かねばなあ、とかなりピュアな夢を見て終わりにしようかなあ。 おわり。

 

生放送配信者にコメントを読まれる方法について語る。という話。

 

タイトルにコメントを読まれる方法、と書いたわけだが、「読まれる方法を教える」、とは書いてないわけで。言葉のトリックってやつ。叙述トリックか?よく知らんけど。詐欺師はこういうトリックを使って人をだます。気をつけよう。本当に。

 

まあ教えない、とも言ってないわけで、まあできるかぎりは伝えよう。今日はかなり気分がいいから。ただ、参考にはならんよ。

 

気分がいい理由は俺のハンドルネーム木ヶ津カナイを調べればすぐわかるんだが、そんな物好きなストーカーはたぶんいないだろう。この界隈ではストーカーはむしろふつうなので今さらいても驚かないが。

 

で、コメントを読まれる方法だが、結論はあるようでない、ないようである。が答え。これが答えだからしょうがない。読まれる人は読まれるし、読まれない人はたぶん一生読まれないだろう。

 

今日がそうだったんだが、コメントを書きこんだ瞬間、またはその手前、ああ、このコメント読まれるな、という確信めいたものがある時がある。で、実際今日そうだった。

 

まあ、絶対読まれないだろうな、っていうのが読まれることも多いから、結局運だよね。

 

仮に物好きなストーカーがいれば遅かれ早かれバレるもんだから、自分で言ってしまおうと思った。

 

相性がいい配信者には読まれる、悪い配信者には読まれない。俺もそうだ。で、相性がいいと感じると自然とファンになる。つまり、相性が悪ければ永遠に読まれないってことだ。

 

そもそもほとんどコメントを読まない人も多いしね。逆に言うと、相性のいい配信者を探せば読まれるってことか。気の合う配信者を探せ。

 

ある人が好んで使う言葉でシナジーというのがある。くわしくはggrks。世の中はもしかしたらシナジーでできているのかもしれない。

 

おそらく俺の身近で一番の恋愛の達人であろう父が言っていた。俺が存在するんだから相当な達人だろう。今酔ってるけど、意味通じる?

 

結局人生で縁がある人と結ばれる、と。父親の人生の実体験からくる言葉だ。真実に一番近いだろう。ソースは俺という存在。

 

人生シナジーなんよ、結局。縁があるかないか。シュタインズゲートの選択。俺にもだれかあるといいなあ。そんな感じで、がんばれ。 おわり。

 

【完全妄想】これからのネット社会、ひいては社会全体の変化の予想。

注:この記事の文章は完全にカナイの妄想、想像、予想で、現実に起こるとは一言も言っていない。誤解なきよう。と言っても誤解する人も多いのも知ってる。

 

VTuberが好きだとくさるほど言っているわけだが、近い将来、VTuber界、ひいては現代社会の在り方が大きく変わっていくんじゃないかと予想してる。

 

シンギュラリティという言葉は技術的な飛躍とかいうちっぽけな言葉らしいが、人間的シンギュラリティとも言うべき革新が起きるような予感。

 

性格が優しくない精神的に低い人間がはしっこに追いやられていくような。今の腐りきった社会よりはまともな世の中。

 

と、なんかドデカイことを言っているが、具体的な予想はちっぽけなことで、VTuberの人たちがだんだんと素顔を出していくんじゃないか、ということ。ただの俺の願望でもある。

 

べつに俺が言い出したことじゃなくて、それをすでにやっている人が何人かいる。VTuber界のおきてのようなもので、具体的には例を出せないが。

 

言うて現実の世の中でメディアに出れるくらいの顔美人なんてごくわずかだからね。学校でのクラスの女の子を思い出せば理解できると思う。美人なんてクラスに1、2人くらいだったと思う。で、テレビに出れるくらいの美人なんて学校で数人だろう。顔美人で声美人なんてSSRだ。

 

俺はアニメにハマってウン十年経つわけだが、そろそろ自分的にも世の中的にも現実の三次元に戻るころ合いのような気がする。ここ半年VTuberにハマったことと、連日の騒動のせいでいろいろ考えさせられた末の俺なりの結論だ。

 

言うてVTuberって言っても現実の人だからね。過去に流行ったキズナアイ輝夜などはアニメキャラの設定に準じた声優、って感じだったが、今は生放送配信者がキャラを着て配信をしてゲームなどをする、って感じだから。

 

俺もアニメキャラとしてじゃなく配信者として見るようになってきたからものすごい違和感を感じ始めていた。見た目はアニメ、演者は現実。すごい中途半端。

 

こう書きながら思ったが、最初に書いた人間的シンギュラリティなんて大したもんじゃないかもしれない。

 

あんまり言うといろんな人に怒られる気がする。木ヶ津カナイって名前はネット上の本名みたいなもんだから。まあ、ここまで書いたことで言いたいことは察してくれ、って感じ。頭のいい人ならみなまで言うな、って感じだと思うんだがなあ。

 

まあ、ここ二、三年で世の中は大きく変わっていくと予想する。はやければ今年中にでも。実際テレビが廃れた時代だからね。世の中がどう変わっていくかおじさんにはとても楽しみだ。たぶんいい方へ行くと思う。善人にとっては。 おわりかな。

 

このブログを改装して木ヶ津カナイの家にする。ツイッターはみんなの広場だから。

VTuberを追っかけて生配信でコメントとかしていわゆる推し活をしていたんだが、どうやらそれだけで、俺のハンドルネーム木ヶ津カナイは公表されるようだ。VTuberの生放送はアーカイブが残る。当然俺がコメントしたことも記録に残る。よっぽどのことがなければ何年後にも。

 

さっき木ヶ津カナイでエゴサしたら見事にコメント読まれた時の切り抜きが検索結果に出てきて草。もう手遅れだw

 

もう後悔しても後の祭りだから、もう木ヶ津カナイを俺の第二の人格として、ネット上で好きなように遊ばせることにした。小出しにするの、もうものすごく窮屈なんだよね。

 

あと、いろいろな事情がある。最近はやはりいろいろグチを言いたいことが多くて、ツイッターでは言えないから匿名掲示板系で書きこんでいたがどうにもバツが悪い。なんか陰口を言っているみたいで、匿名だから記録にも残らないし。

 

ツイッターはみんなのための広場だから言いたいこと好きなことをなかなかつぶやけない。短文しか書けないし。窮屈な感じにかなりストレスを感じていた。俺は言えること言いたいことを好きなように書きたい。

 

そんな欲求を、さて、どうしたもんか、と考えて、しばらく放置していたこのブログを思い出した。ここなら木ヶ津カナイ名義ですでにやってるし、俺の願望をいろいろ満たせる。

いやー、人生いろいろやっとくもんだね。

 

ネット活動者と考えるなら俺も同じ土壌に立っている。VTuberYouTube配信なら、俺はブロガーとして活動する。YouTubeチャンネルは他人の家だが、ここは俺の家だ。俺のルールで、言いたいことを書ける。はず。

 

俺がこのブログで書きたいことがいくつかある。ここ数年、もしくは今年中に、ネットと現実が融合に近い形になる、人間的シンギュラリティが起こるだろうこと。

俺が思う理想のVTuberのかたち、そしてそれをすでにやっている人がいるという話。

VTuberについてのわちゃわちゃした楽しい話。

 

このブログを改装と言ってもそんなにやることが変わるわけじゃない。木ヶ津カナイのブログとツイッターを連携させるくらいだ。あとはこまごまとした都合の悪い記事とかを処分するくらい。都合悪いっつっても、そんなにやましいことはしてないけどね。

 

まあ、ネットって場所を人生の第二のすみかにするってだけ。そんなたいした話じゃない。いろいろあったがやっと未来に希望を持ち始めた。 おわり。

 

人気VTuberと立場『だけ』は同じだという残酷すぎる『現実』。という話。

このブログ、ほとんど放置しているわけだが、だってお客さん集まらないんだもん。一人でも見る人がいれば価値はある、とは言っても、やっぱり見る人が多い方がいい。このブログが無料だからまだ残してるけど、月額500円でもかかっていたら本当に放棄しているだろう。

 

集客率を考えたらはてなの他のサービス、はてな匿名ダイアリーのほうがワンチャン読まれるという謎仕様。あそこなら運よくウケのいい記事を書けば、ワンチャンバズる。ここでは書いてないが、文章自体はあちこちで書いている。

 

で、本題。VTuberをここ半年くらい見ていたわけだが、いろいろ分かってくる。そして、立場だけは、VTuberやいろいろな有名人と俺みたいな弱小一般人と同じだ、と最悪な事実に気づいてしまった。

 

俺自身もやろうと思えばYoutuberに今すぐにでもかんたんになれる。用意すればVTuberにもなれる。ツイッターのスペースもできる。有名人と違う所は、俺がやっても誰も見やしないということだ。あまりにも残酷すぎる。

 

これは有名人にとってもものすごく危険なことなんだよね。一般人と同じ立場ってことは、当然勘違いする大バカも大勢いて、ガチキモストーカーも増えてくる。実際ネットを見ていると、本当にガチキモストーカーがいてかなり恐怖した。

 

誰かが言っていたことだが、アイドルに100万人のファンがいれば、そのうち一人、複数人でもストーカーが出てくる。ある意味当然だ。確率的に。

 

こんな中途半端にアイドルに近い状態なら、むしろ昔のテレビという別世界にいたアイドルのほうがよっぽどよかったなあ、と思う。どうせとどかないなら別世界の人の方がいい。ようは秋元康が全て悪い。

 

なんかめんどくさくなったからここまでにする。どうせ誰も見ない記事だし。つまりはそういうこと。どういうことなんだか。 終わり。

 

書きたいことと書くべきことがない。という話。

 

有名ブロガーや小説家、漫画家など、スランプで何も書けない、という話をよく聞くが、物理的に書けないんじゃないんだろうなあ、と思った。

 

別に書こうと思えばいくらでも書けるんだと思う。しかし、自分の納得できる、書きたいこと、書くべきことがなくなるんだろうなあと思う。

 

楽家でもなんでもクリエイターは、高いレベルに行けば行くほどそんなもんなんだろうなあ、と。

 

俺がそのレベルだと言いたいわけじゃないが、俺もそんな気分だ。ここのブログは好きだけど、特に書きたいことがない。書くべきことがない。どうしようかなあ、って感じ。

 

近況をつづっても興味ある人はいないみたいだし、センセーショナルな記事をいつも書けるわけじゃない。人の悪口を書いているヒマがあったらVTuberアーカイブを見る。

 

このブログも低浮上で続いていくんだろうなあと思う。別に人気も金も欲しいわけじゃないし。資産756兆円あるし。

 

赤いなあ。←なんとなく思い出したので書いた。 終わり。

 

VTuberやアイドルを叩くやつは身も心も美しくない女であるというたぶん核心であろう推測。

 

たぶん核心であろう真実にたどり着いた。

 

VTuber好きを続けていくと、あるとても傷つく現実が待っていた。いわゆるアンチという存在だ。

 

具体的に書くと自分もVTuberも傷つく、とてもひどいことを言う奴らだ。

 

ここ数か月、傷つきながらも、なんでこの人たちはこんなにVTuberとファンを嫌うんだろう、と疑問にも思っていた。その答えが、

 

VTuber、アイドルを粘着質に嫌うアンチは、ほとんどが身も心もブスな女なんじゃないだろうか?

 

たぶんこれは真実だ。だって、現実で俺が会った男の中に、こんな粘着質な奴らはいなかった。男はサバサバしたもんだ。嫌いな女芸能人がいたって、こいつブスじゃん、で終わって魅力的なアイドルのほうへ行く。もしくは美人な彼女を探す。粘着質に嫌いなアイドルの悪口を言う奴は見たことがない。そして、そういうことをする心が美しくない女ならしょっちゅう見かける

 

ネット社会の裏側が見えた気がした。ネカマ、ネナベと言われる、異性になりきることがネットでは容易にできる。男をよそおった女が、執拗に嫌いなアイドルを叩き続けるのもかんたんなことだ。

 

これを裏付ける証拠はないが、逆に否定できる証拠もない。ネットは怖いねえ。

 

ようはブスな女の嫉妬ってわけだ。男女同権をうたうフェミニストはブス、という意見を見て、この推論に達した。

 

これで数か月に及ぶ悩みとナゾから解放された。正直、理由のわからないアンチという存在は怖かったからね。ブスな女と思えば哀れだな、で済む話。ちなみに男でそれなら輪をかけて気持ち悪い。

 

ちなみに俺が蔑視するのは心がブスな女ね。顔の良し悪しは関係ない。念のため。