最近は調子がよく、いろいろやるようになってきた。運動のためにバットで素振り、あとは写真の通り、花を育ててみることにした。5月で園芸にちょうどいい季節だからね。
アスターという花を選んだ。季節にあっていたし、花言葉がいい感じだった。なんて言葉か忘れたが、いい言葉ばっかりだったと思う。信頼とかかな。
花の種を植えて一週間くらいでやっと芽が出たわけだが、これが思いのほかうれしかった。
妄想力が豊かだからいろいろ想う。俺が花の種を買って撒くという選択をしなかったら、この芽の命は生まれなかったわけだ。自分が命を作るきっかけになったと思うと感慨深い。
まあそうきれいごとばかりじゃないんだけどね。成長促進のため、いくつか撒いた芽のなかで育ちがいいのだけを残し間引く。命を育てると同時に摘む。生き物を育てるってのはそういうもんだと学ぶ。
ウシさんやブタさんにも想いがおよぶ。畜産業の人たちはせっかく苦労して生ませて育てた牛などを最終的には処してしまうわけだ。どういう気持ちでやってるか、なんて部外者にはわからない。その仕事をしてる人にしかわからない様々な思いがあるんだろう。牛や豚に名前をつけてはいけないらしい。情がうつるから。
種をまくというだけの行動で、ここまで想像してしまった。なんでもやってみるもんだ、と思う。エヴァンゲリオンの加持リョウジの言葉を思い出す。「なにかを育てるのはいいぞ。いろんなことが見えるし、わかってくる。楽しいこととかな」
母も花いじりが好きだった。俺もこの歳になって、母に似て園芸に興味がでるかもしれない。やっぱり血かね。
ゲームもいいけど、他の様々な分野に手を出すのも頭の良さにつながる気がする。見聞が広がる。俺的脳トレ。
おっさんになったわけだが、好奇心を忘れずに心は歳を取りたくないなあと思う。 おわり。