最近のグチを言うだけの話。見る価値なし。

なんか最近、不満というかストレスというか、そういうのが溜まってきているので吐き出すだけのスレ。自己満足。

 

テレビを見ない日々にももう慣れてきた。ホントに見なくてもなんの不便もない。見ないというより、もう見れんのよね。テレビちょっと見るだけでどんどん文句が出てくる。イライラする。怒る。だったらわざわざつける必要ないやん。そういうこと。ダイの大冒険くらい。

 

ユーチューバーというのもちょっとやっかいな所があって、同じネット上ということで、不満とかもネットではつぶやきづらい、というかつぶやけない。元2ちゃんねるで匿名で書けばいいやん、ってなるけど、陰口みたい、っていうか実際そうなのでやっぱり書けない。

 

テレビなどの感想や不満なら別枠という感じなのでいろいろ書いていたが。アニメとかお笑い芸人とか。まどかマギカの話で盛り上がっていたころが懐かしい。

 

リアルの友達と好きなものについて話すのが一番なんだけどね。そんなもんいるか。

 

不満が吐き出せないのが一番の不満、という話。

 

あとはこの前めちゃくちゃ面白い配信があって、自分の心に刺さり、今後の人生に影響されるだろうくらいのがあったが、今思うとそれも配信者の爪あとを残しておきたい、たとえ潰されても、っていうくらいの覚悟を感じてしまって、ちょっと鬱だ。

 

そんな感じでいろいろ細かな不安が積み重なってしまっている状態だ。好きなものが好きじゃなくなってしまうかも、と思うのもかなり悲しいものがある。杞憂ならいいが。

好きと嫌いがまじりあっている状態というのもイヤなもんだ。砂糖と塩をいっしょに入れてるみたいな。

 

じんせーたのしけりゃいいのよ。というのはこのブログと俺の人生の答えだが、それが一番難しいんだよなあ。楽に楽しく生きたいねえ。

 

ねむ。寝るか。 終わり。

 

人生で初めて作ったゲーム、I'm here. の振り返りの話。

愛と感謝を送るなら、大人なら10000円くらいは堂々とスパチャしろや!むこうは一億円でもなびかないアイドルやぞ!と三か月前の俺とは真逆のことを思う俺。洗脳?知るか。

 

で、なんか書きたいことあったけど忘れた。マジで。絵かなあ?なんか面白いネタあった気がするけど。酔ってるせいもあるな。で、考えること10分。やっと思い出した。

 

このブログのトップページにある、俺が人生はじめて作ったゲーム、「I'm here.」というゲームの話。はじめてのゲームで、めっちゃがんばって作ったのを思い出して書こうと思った。

 

正直、今の自分にとっては過去のものでどうでもいいものなんだが、俺のツイッターをさかのぼって見ると、めっちゃ情熱注いで作ったものらしい。過去の自分に敬意を払って、あと最初のゲーム作りの総決算ということで書いていきたいと思う。

 

 

最初に言っておくと、モノづくりってものはやってないやつには永久にわからんだろうが、めちゃくちゃ大変で情熱をもって作っているということだ。音楽にしろ絵にしろマンガにしろゲームにしろ小説にしろ。

 

そりゃ見る側にとっちゃ数時間のものさ。音楽なら数分。でも、作り手は人生賭けて頑張って作ってる。で、たいていの人が挫折する。俺もそのひとり。

 

それをわかってない評論家とかいう職業と呼べるかもあやしい職業の人間が超大嫌いだ。ユーザーは別にいい。その権利がある。だが評論家、てめーはダメだ。橋下、こくばる。

 

そんな偉そうに評論するなら、おめー、それよりもっと面白いもん作れんだよなあ?できねえよなあ?できるんだったら評論家なんてやってないだろ、という矛盾。最低愚劣だね。

 

酔ってるせいで思いっきり評論家批判にズレてるが、俺は酔ってるときこそ自分の本音が出ると思ってる。酔ってるせいじゃなく酔ってるおかげで本音が出る。書き直す気はない。

 

 

で、話を戻して俺の処女作、「I'm here.」の話。プレイする分には一時間、めっちゃすっ飛ばせば十分くらいで終わるゲーム。

 

でも、それを作るのに数百時間、構想を練ったり絵の練習をしたりするのを合わせたらどれくらいかわからない。それくらいかかってる。たかがユーザーの一時間のためにめちゃがんばった。

 

そりゃ何かをつくるのにがんばるのは当り前さ。でもね、それを言っていいのは作り手側だけ。何もしないで評論だけするバカに言う資格はない。橋下、こくばる。

 

評論家批判したい心を戻して、このゲームはRPGツクールというツールを使って作った。これだけでかなりゲーム作りの敷居が下がる。興味ある人はggrks。

 

そのめっちゃ敷居の下がったゲームで数百時間かかった。いやマジで、昔のファミコン時代のゲームを作った人は尊敬するね。今よりはるかチープなゲームをどれだけの努力を費やして作ったものか。今のゲームはその人達らの努力の結晶の元に成り立っている。

 

で、I'm here.というゲーム、今さらだからネタバレするけど、メタフィクションを自分なりに結論、解決したつもりのゲーム。

 

このゲームに興味がある奇特な人は以下を見る前にぜひやってみてくれ。過去の俺のがんばりの集大成がある。存在する。そもそもニコニコアカウントがなくてできないかもしれないが。トップページのリンク張るか。以下、完全ネタバレ。

 

I'm here.

 

ゲーム作りは初めてとは言っても、ゲームというよりノベルゲームのようなつもりで作った。有名どころだと夢日記のような、RPGバトルのないゲーム。

 

ストーリーだけは自信があったつもりだった。フィクション(虚構)という世界に虚構世界の住人である主人公たちが気づく。それに気づいてから、それから主人公、ヒロインたちはどうしていくか。

 

自分の中では実際のアニメなどの、言ってしまえばウソの世界を心の中でどうやって処理すればいいか、その答えを書いたつもりだった。だいたいの作り手がそうだろうが、自信作だった。

 

まあ、結果は可もなく不可もなく、って感じだったと思う。初心者が作った素人のゲームとしてはまあまあ、大自信作としては大失敗、って感じ。

 

まあ、俺の人生自体そんなもんだから、今さら落胆もしなかったが。たいして。

 

まあ、言いたいことは、ホントにモノづくりってのは大変だってことだけかな。数分の音楽にどれだけの想いがこめられてるか、少しでも想像力を働かせて聞いてみな、読んでみな、プレイしてみな、って話。評論だけならバカでもできる。強調しておくか。

 

評論だけならバカでもできる。

 

ちなみに今めっちゃ気分いい。気分がいいと悪口が増えるというコレコレの気持ちが少しわかる。

 

ゲーム以外にも俺は音楽などいろんなものをやった。少なくとも全部手抜きはしてないはずだ。このブログのトップページからリンクが貼ってると思う。興味があったらどうか。昔の俺が喜ぶ。

 

と、ささやかな宣伝をして終わり。

 

仙水忍。キレたので人類のタブーに触る。人類は滅びろ。

最近とある事実を知ってしまったので、キレた。これは気づいた、という話ではなく、確実な証拠があるものなので、信じざるを得ない。

 

というわけで、仙水忍という人類のタブー(領域)について思いっきり書いていく。キレたので。

 

仙水忍についてわかりやすく簡潔に現わしている言葉がある。この言葉だけで、仙水忍についての説明は終わってしまう。

「オレは花も木も虫も動物も好きなんだよ

嫌いなのは人間だけだ」

 

キレたので言ってしまうが、俺はこの言葉に完全に賛成する。ゴキブリより醜い存在。人間。いや、ヒトという哺乳類の猿に似た生き物。

 

このヒトという生き物。おそらく地球誕生以来、最低最悪の生き物だろう。他の生き物で、ここまで地球環境を破壊している生き物はいない。

 

核兵器というドラえもん地球破壊爆弾と同じものを作ってしまう科学とヒト。醜い。

 

生きるためじゃなく贅沢のため、生き物をころし食う生き物。醜悪。

 

SDGsとかを綺麗ごととして言っている奴らがいるとしたらただのバカだ。ヒトがいなければ世界はかんたんに平和になる。SDGsをうたうやつらはたぶん、ちゃんとヒトの業、罪深さを考えて行動しているんだろう。うっとうしいので調べる気もしないが。

 

別に人類を虐殺して全滅させようとか、そういうぶっそうな話じゃない。もっと温和にヒトを絶滅させる方法がある。ノーミソをちょっとだけ使えばすぐ気づく。

 

今後いっさいヒトが子供を作らなければ、自然とゆるやかに人間は絶滅する。100年後くらいには。誰も殺さない、温和で優しい滅び方だ。

 

ただ、ヒトってのは愚かで醜いので、そんな簡単なことすらできない。どこまでも底のないバカな存在だ。

 

 

冨樫義博のマンガはエンタメの範疇で最大の教訓を教えてくれる。

人生をかけて念能力を極めても、核兵器にはまったくおよばない。バトルマンガの域をはるか越えたメッセージ性。

 

俺は精神状態によって、はたからみたら別人のように見えるらしい。内面は一個だが、外から見たらそれこそ多重人格に見えるかもしれない。それが俺の本質だからしょうがない。

 

人類は滅べばいい。ゆっくりと、緩やかに。

 

アクセス数より顧客満足度のほうがよっぽど大事なのよ、という話。

アクセス数が伸びるんのはいい。うれしい。でもそれだけじゃない、というか、重要なのは顧客満足度、その人がこのブログを見てどれだけ楽しく感じたかが大事、という話。

 

なんかの資格を取る時勉強したが、企業にとって顧客満足度というのはかなり大事らしい。たぶん目先の利益より、その先の企業の未来を考えるとそっちのほうがはるかに重要、という意味だと俺はとらえた。

 

テレビの視聴率を例にするとわかりやすいと思う。視聴率が20%を超えたとして、その視聴者たちがその番組をどれだけ楽しめたか、というほうが大事だと思う。

 

視聴者が100人いたとして、90人が「期待してたけど思ったより楽しめなかった、残念。」と思ったとしたらその番組は大失敗だと思う。

 

顧客満足度ね。これそのうちマジで何かのテストに出るから。覚えておくように。

 

 

話をこのブログにすると、アクセス数が伸びても、何だこの文章、つまんね。ほかのとこいこ。ってなったら何の意味もないわけだ。見る人が少なくても面白い文章を書くのが大事、と最近思った。

 

まあ趣味ブログだから好きなように書くんだが。この記事、おもしろい題材かな、と思ったけど、ちょっと固い話だったかな。

 

見せかけより中身を、本質を、って話。 終わり。

 

そもそも宗教って悪いことじゃないからな、という話。

いろいろ何かにハマる人のことを○○教の信者、とか揶揄する風潮がある。

 

例えばひろゆき、アイドルを好きな人、特定の宗教団体を支持する人。人志松本教。何かを妄信すればたいてい信者と揶揄される。

 

そもそも論として、宗教自体全然悪いことじゃないんだよね。日本国憲法で宗教の自由を認められている。それくらい義務教育で覚えてるっしょ。

 

まあ、普通に考えて、宗教のイメージが悪くなったのはオウム真理教のせいだろうね。1995年のサリン事件など他多数。あの年はすごく恐ろしい年だった。

 

でもね、教祖、麻原彰晃も当時はとんねるずの番組に出たり、選挙に立候補したり、けっこうふつうに世間に顔出ししてたんよ。つまりそこまで宗教のイメージは悪くなかった。

 

って、オウムの話なんかしてもしょうがない。宗教自体が悪いことじゃない、それを悪く言うな、という話

 

信者と揶揄される人はむしろ、確かに○○の信者ですが、それが何か?と、でんと構えていた方がいいと思う。悪いことなんかじゃないんだから。

 

いいやん、宗教。何かを信じられることはいいこと。俺なんか現実世界も自分の存在自体もうたがわしく信じられんと思ってんだから。

 

VTuberの○○の信者ですが、それが何か? 終わり。

 

【ネタバレ注意】今さら「101回目のプロポーズ」を語るスレ。

なぜか全く需要のなさそうな、大昔のドラマ101回目のプロポーズの話をする俺。

 

はてなブログ無料版はまったく広告収入などお金が入らないからだ。完全に趣味。資産567兆円あるし別に金は要らない。このネタもあきたのでしばらく言わない。

 

101回目のプロポーズをレンタルで6話まで借りた。なつかしいのと、ちょっと思うところがあって。男らしさとは何か、みたいな。

 

101回目のプロポーズというドラマで、どうしても言ってやりたいことがある。有名なワンシーン、武田鉄矢がトラックに突っ込んで「僕は死にません!」

 

あのシーン、よく笑いのネタにされるけど、めちゃくちゃ感動的なシーンだからね💢

浅野温子武田鉄矢をやっと好きになったけど、また好きな人を失うのが怖い。そこで武田鉄矢がトラックに突っ込んで、それでも死なないと体を張ってプロポーズ。

あれをネタにして笑う奴本当にムカつくんだよね💢

 

それはいいとして、ドラマの内容、最初に気になったのは、時代の差で、みんなタバコを堂々と吸っているところ。しかも食堂で。当時は1991年だったと思う。信じられない光景だ。今じゃタバコを吸うには街の片隅の喫煙所でしか吸えないのに。飲食店じゃほとんど禁煙なのに。時代は変わるもんだ。

 

ついでに竹内力がめっちゃ優男のイケメンなのにもビビる。もはや別人じゃん。

 

このドラマの一番の注目ポイントは、やはり主人公星野達郎、武田鉄矢の心の変化、心が強くなっていく過程だろうと思う。最初はなよなよした中年のおっさん。でも、矢吹薫、浅野温子に惚れていくことでどんどんカッコよくなっていく。精神的にね。

 

電車男にも通じるところがあるが、男の魅力つーのは、やはり精神力、心の強さだよなあと思う。個人的に。どんなにイケメンでもいざという時頼りなかったら魅力はない。と思う。個人的にね。

 

ドラマの中盤までレンタルしたわけだが、続きを借りようか迷ったけどたぶん借りないと思う。思った以上にドラマの内容を覚えていたから。10代のころだが5回くらいは見た気がする。俺は好きになった物語は気が済むまで見る。

 

あと、この後の展開かなりシビアでハードなんよね。3話くらいは武田鉄矢にとってつらくきつい展開が待ってる。わざわざレンタルしてまでしんどい思いしなくてもいいなあ、と思った。

 

 

この記事の締めとして、今の若者、男性はこのドラマを見ておいた方がいいと思う。男の真のかっこよさが何か勉強になるかと。イケメンよりハートよ、男は。電車男が好きな人ならたぶん面白いと思う。 終わり。

 

ホントなら絵の才能が欲しかった。できればギャグマンガ。という話。

どうも個人の嗜好と、才能ってのはうまく合致しないようで。

 

俺は昔、ある人にオールラウンダーだね、と言われた。大体のことがある程度できる。でもそれが、かなりの悩みでもある。

 

オールラウンダーということは、逆に言うと突出した才能がないということ。要は器用貧乏。この中途半端な才能のせいで、あちこちいろんなことをして、その度何度も失敗、挫折した。

 

物事が成功するには、何でもできるより、一つだけ突出したほうがいい。人志松本太古の昔そう言っていた。

 

なんとなくこの記事のタイトルを思いついて、なんとなくこの文章を書いてしまった。いつものことだが見切り発車で、しかも後悔してもせっかく書いたのがもったいなくてボツにもできない。

 

まあ、何か夢と情熱をもって何かやりたいな、ってこと。夢を見つけるってのも、意外と難しいもんで。 終わり。

 

幸せなんだか不幸なんだかよくわからん昨今。今までよりははるかマシ。という話。

ありがたいことにこのブログ、アクセスゼロの状態からは脱せた。正直あんまり文章を書く気分じゃないが、短いけどちょとがんばって書く。

 

最近は気分が上がったり下がったり非常に忙しい。おもにVTuberについてだが、VTuberについての記事は迷惑がかかるかもだから書けない。

 

日頃の中心のほとんどがVTuberだからけっこう困る状態なんだが、迷惑かける方が困るからしょうがない。

 

気分の上下が激しく大変だ。ただ、俺が気をもんでもまったく意味がないから、最近はいい感じの気持ちの距離感をとろうとしている。推し活とはそんなもんだろう。

 

以前の辛いわりにくだらなくてしょうもない人生よりは全然いい。人生には喜怒哀楽が必要。

 

いろいろある割に基本パソコンの前にいるだけという変な状況。こういう風に時代ってのは変わっていくんだと思う。マジで10年後が楽しみだ。 終わり。

プチバズった。次いつかわからんから書いとく。という話。

バズった、というほど大きくはないが、最初のアクセスゼロからは信じられないプチバズりをした。

 

なんでプチバズしたかというのを探るのも、けっこうなリアル推理ゲームみたいで楽しい。

 

今日はあることで胸がいっぱいであまり書く気がせんが、プチバズもまたいつ来るかもわからんし、二度とこないかもしれんから書いとく。

 

アクセス解析を見ると、はてなブログからのアクセスが急に増えたことに気づく。リンク先を見て探すと、奥のほうに俺の記事が載ってた。これが原因だと確信。

 

はてなブログってとこもなかなかいい所だな、と思った。最初はアクセスゼロだったのが、この弱小ブログでもトップに載ったりする。忖度ってやつがあまりないんだと思う。

 

正直他のブログはひどいよ。どういうつもりか知らんが俺の記事を読みもしないでいいね!的なモノを押すやつが多い。その時はうれしいが、からくりがバレた時の落胆はひどかった。だまされたようなもん。どことは言わんがね。あー、ノートに絵でも描きてえ。

 

で、なんでここの記事が載ったか考えると、たぶん運営さんに記事が気に入られたんじゃないかな。それくらいしか思いつかん。弱小ブログを持ち上げる理由がないし。

 

あとは、狙ってバズリを狙うなんて不可能ってことを書きたいくらいかな。他のジャンルも同じで、大ヒットを狙って出せるなら、音楽なら小室哲哉、マンガなら鳥山明を楽に超えられる。

 

自分の気持ちとか運とかタイミングとかがうまいぐあいにかみ合ってやっとバズるんだと思う。魚釣りみたいなもんだ。

 

釣りに一番必要なのは根気だ。 終わり。