期待値。人生に役に立つかもしれない話。

ギャンブルなど賭け事で大事な要素、確率。学校の数学で習うものだが、数学の勉強の中で、人生において一番だいじなもののように個人的には思う。

 

その確率というものをもう少し踏み込んだ考え方がある。期待値だ。この期待値という概念は、ギャンブルに限らず、人生のいろいろな選択でとても役に立つ考え方である。たぶん。

 

なんとなく先生風にざっくり説明する。くわしくはggrks。おもにギャンブルで使う考え方なので、ギャンブルを例に。

 

一回100円でサイコロの数当てゲームができるとする。数を当てれば1000円もらえる。サイコロだと単純に1/6の確率で当たる。

 

あ、ごめん、解説したかったけど計算難しい。細かいところよくわからん。けど、上の例だとやってみてもいいかな、って感じになると思う。10回やれば当たる確率のほうが高いからだ。(ほんとすまんね。) 賭けた分、100円より期待値が高いと言える(はず)。

 

まあ、期待値ってのはなにか(お金)をかけた時、儲かる確率みたいなものだと思う。自分で理解した気になってただけなので、うまく説明できん。でも、この概念を知ってると、成功確率の高い方へ進む指標になると思う。くわしくはホントググって。

 

ちなみに、世にあるギャンブル、競馬、パチンコ、宝くじなどは上の例の100円(100)とすると80以下らしい。つまりやればやるほど損する仕組みになっている。まれにバカみたいにバカ勝ちすることがあることが最大のワナだ。

 

とくに俺が忌避する宝くじは期待値で考えるとめちゃくちゃ低いらしい。億が一のワンチャンがかすかにあるからみんなだまされるが、ホントにやめたほうがいい。ただの紙一枚に300円も払うと考えたらアホだと思わん?

 

ここまではお金だけの話なので比較的かんたんなんだけど(それでも説明できなかった)、人生においても応用できるのでは、と考える。

 

大きな例だと、人生最大のギャンブルと言われる、結婚。打算で考えるようで自分でも嫌だが、一時のいきおいでしてしまっては下手すれば人生破綻する。これも期待値の高い伴侶をできるだけ選ぶべきかと。

 

単純に、金があっても性格最悪とか、美人だけど浮気性とか。その他さまざまな面があると思う。そういうのを避けるため。ちなみに俺自身は期待値最悪なのでだれも選ばない方がいい。いや、ホントに。

 

という感じで、期待値の話をしたのは、この考え方は本当に人生に役に立つと自分で感じたからだ。細かい計算は知らんので説明できんかったが。

 

ここの文章ではホントに説明不足なので期待値というキーワードで調べてみて下さい。損はないはず。

 

何か選択に迷ったときはなるべく期待値の高い方へ。できればプラスのほうへ。以上、へっぽこ先生のへっぽこ授業でした。

 

なんかいい人ぶってんな、最近の俺。

 

ネットで悪口言うくらいなら楽しいことした方がいいよ、という話。

そろそろブログのネタも尽きてきた昨今。プロのコラムニストですら雑誌で週に一回なんだからそんな毎日書くことねーだろ!ってことを過去に何度も書いた気がする。

 

まあ、最近元気だからネタが枯れるまでできるだけ毎日書こうかなと思う。趣味だから質にこだわる必要もないし。

 

で、なんかテレビでやってた。ヤフーニュースのコメントが誹謗中傷が多いからなんたらかんたらと。ヤフコメね。

 

ストレスたまってるんか知らんけど、そんな無益なことやってないで楽しいことしたほうがいいよ、と思うのですよ。

 

人の悪口は誰もしあわせにせん。自分の心もすさむし、もちろん他人も傷つける。

 

楽しみでやってるならまだわかるけど、コメント見てると楽しいというより、物申す系、へんな使命感みたいのを持ってやってるように感じる。人一人の意見で世の中変わらんよ。

 

自分はアイドル、Vtuberにハマってる。以前はそういうのをバカにする側だったが、考え方が変質した。世の悪口を言うより、コロナとかに気をもんだりするより、楽しい方がよっぽど建設的だ。ケチな自分もちょっとはお金も使おうかなと思ってる。

 

どうも本質的に、本能的に、オスはメスを求めるようだ。勘違いする人もいるが、男は別に性欲ばかりで動くわけじゃない。そういう人も多そうだが。なんというか、在るだけでいいというか。

 

こういう意見は、今時はLGBTやらで非難されそうだが。性癖を自らバラす必要もないと個人的には思っているが。やっかいな時代だ。

 

生き方が下手な人が多いな、と感じる。俺もそうだが。かなり。世の中文句より楽しいことのほうが多いんよ。最近気づいた。使命感もいいけど、楽しく遊ぶのも人生の本質よ。

 

じんせーたのしけりゃいいのよ、っていうのはたぶん人間の真理だ。キリがいい気がするのでここらへんで終わり。誰か見てるかなあ。

 

インターネット黎明期の意志を受け継いでいるノーマネーブロガー俺。

お金儲けの装置としてインターネットが使われるようになったのはいつからだろうか。俺が知らないだけで最初からそうだったのかもしれない。

 

でも、2000年代以前のインターネットは(おそらく)金稼ぎが目的ではない、『遊び場』としてホームページを作っていた人が多かったと思う。いい広場がある。ここでみんなと遊ぼう。

 

俺のような資産10億円持っている男にはインターネットで稼ぐという発想はいらない。インターネット黎明期のように、遊び場としてこのはてなブログを使っている。

 

インターネットで稼ぐという概念を知ったのは2ちゃんねるまとめサイトからだと思う。便利で楽しいから使ってたが、いろんな事件により、まとめサイト管理人に金が入ることを知る。それまではたまに俺の文章がまとめに載る、と喜んでいた。今思えばたんなる無断転載だ。

 

そこら辺から2010年代に入って、ネットで稼ぐのが一般的になっていったように思う。ユーチューバーが代表例だろう。いつの間にかインターネットで何かする=お金を稼ぐ の構図になっていた気がする。

 

それでも、たぶん今でも昔のように趣味でブログなどやっている人もまだ多いんだと思う。検索などでは上位に上がらないだけで。

 

今の整然としたネット環境も嫌いじゃないけどね。2000年ごろのカオスな感じも楽しかったし懐かしい。

 

今思い出したけどけっこう2ちゃんねるのレスをまとめた本などが出ていたのを思い出した。形は違うが昔からマネタイズはあったんだね。「子供がくねくねするんです」の話はめちゃくちゃ面白かったのを思い出した。うちの母ちゃんに読ませたら本当に心配してた。母親として思うところがあったのかな。今でも探せばたぶん見れるよ。

 

まあ、セレブな俺は今も黎明期の志をつないでるわけだ。俺にとっては正しいインターネッツの使い方。終わり。

 

クソニーから数十年経って任天堂に戻ってくるゲーマーの俺。

ニンテンドースイッチを今さら買った。けっこうかなり値が張ったので、なるべくいろいろ遊びたい。とりあえずマリオカートを極めたい。

 

3DS以来久しぶりに任天堂製品を買ったが、思ったことがある。俺が知っている古き良きファミコン時代のゲームを踏襲している。

 

基本的に俺は数十年プレステ派だった。PS4を買った直後、ディスクがぴょこぴょこ出てきたころからなんか嫌になって、ドラクエ11でひどかった時はかなりキレタ。で、最近DVDを見た後DVDが出なくなったときにクソニー製品は二度と買わないと決めた。

 

クソニーとは別に、ゲームとしてプレステ関係は俺の望むゲーム像とだいぶ違ってきたと以前から感じていた。俺はリアル路線じゃなく、2Dドット絵的な、アニメ絵的なかわいい絵柄を求めていた。

 

マリオやカービィ、あとはどうぶつの森の絵柄なんかは俺の好みのドンピシャだ。かわいい絵柄で、3Dのキレイな映像。スマブラでマザー2のネスがかわいくなったのは、懐かしさもありちょっと感動。

 

じじいの俺はこういう感じの未来のゲームを昔夢見ていた。ロックマンパックマン、オパオパみたいなゲームが3Dでいい感じに進化する。できれば桃太郎伝説が一番やりたかったんだけどね。大人の都合でかなり無理そうだ。桃太郎電鉄じゃないよ。RPGのほう。新桃の続編やりたいなあホント。

 

夜空に輝く幾千の星よ!我に力を与えたまえ!!

 

 

もともとRPG専門の俺には、マリオ系はちょっときついんだけどね。おもしろいんだけども、一瞬のミスで負けてしまう感じはかなり疲れる。

 

マリオカートがけっこううまくなってきたので、超下手くそなスプラトゥーンと交互に遊びたい。スマブラはちょっと苦手。よくわからん。

 

ゲームの話はそんなに長く書けるもんじゃないから終わる。オンラインで遊べるくらいにはうまくなりたいもんだ。終わり。

 

菅首相に心からじゃないがおつかれさまと言いたい。

総理大臣になったら国民のために立派な仕事をしたい。

 

子供っぽい言葉だが、一国の首相になった人なら少なからず思うことかと思う。

 

いろいろあってムカついた人でもある菅首相だが、コロナ禍の中、様々なしがらみと理想の板挟みで大変だったんじゃないかと勝手に想像する。

 

だいたい全ての事柄を首相たった一人で決められるわけもなく、その責任をすべて菅に押し付けた自民党の偉くないのに偉い人らのほうがムカつく。なんとなく。

 

大災害、コロナウイルスの時期に首相になったわけだけどさ、今世紀で一番むずかしいことをやらされたわけだ。コロナの未来予測なんてむずかしすぎる。

 

例えばアメリカのトランプ大統領は、2020/04ころにはコロナは治まっているだろう、と予測していた。もしこれが当たってたら彼は今も大統領を続けていただろう。

 

コロナ収束が早かったとしたら、早めに対応していた各国の偉い人は、よけいな金を使いやがってと、逆に非難されていただろう。

 

要は結果論だと言いたいのよ。菅のコロナ対策もお粗末な部分もあったけど、未知のウイルスに対して確実な対処は不可能。

 

そして2021/10の現在、おそらくワクチン対応の成果であろう、コロナ感染はだいぶ減った。菅の運が悪いのか、感染減少の時期がズレていたら、総裁選にも出馬できたかもしれない。俺の想像だが、かなり頭のキレるブレインが自民党の裏にいる。

 

と、菅首相のヨイショにも飽きてきたので、俺の主張を言うと、正直政治とかどうでもいい。自民党が与党続けようが立憲あたりがのし上がろうが、下級平民の俺には大して変わらん。

 

富裕層の人間が法案を作るんだ。当然富裕層に有利な法案が出るに決まってる。1+1=2だ。

 

別に非難しとらん。誰だって自分に有利な方にできるもんならする。しょせんこの世は弱肉強食。志々雄真実はまさに真実を言っている。

 

なんとなく菅首相がかわいそうで書いてみた。菅首相、たいへんな時期にお疲れ様。GOTOで温泉でも行けや。

 

【虫画像閲覧注意】カブトムシがまだ生きてる。命の価値とは。

今年の夏、カブトムシを飼っている。まだ生きてる。

 

カブトムシを飼ったのは、いろいろ理由がある。俺は本当はネコが飼いたい。もふもふ。肉球

 

でも今のご時世、ネコを飼うってのも難しい。今時はネコを外に出すのもいけないらしい。あと、23年間飼ってたネコが死んだときすごく悲しかったのでもうヤダ、ってのもある。

 

ウサギ、ハムスター、鳥、と考えたが、死んだとき悲しいことには変わらない。

折衷案で飼ったのがカブトムシ。(カブトムシ画像閲覧注意!)

 

 

 

 

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カブトムシなら言っちゃ悪いがたかが虫。悲しみも少ない。なんかエゴだね。で、ひと夏の寿命だから、あと世話代もそんなにかからない。そんな感じで今夏、飼い始めた。

 

でね、2021/10/05現在、このカブトムシ、健在。

 

おい、お前は夏の生き物なんだよ、今は秋なの。お前の時代は終わったんだよ、とカブトムシ相手にツッコむ。

 

今日は何か、虫かごの中で暴れまわってた。かわいそうなので出してやるとテーブルの上でまっすぐ進みまくる。ほっとくと落っこちるので、物のない部屋で好きなだけ歩かせる。

 

あいつ、目を離すとひっくり返って起き上がれない。カメのように。なんか生き物として問題がある気がする。ひとりで生きられるのか。

 

もう十月ということで、寿命も間近だろうということで、まっすぐ進むカブトにも思うところがある。しぬまえにどこかへ行きたいんだろうか。冒険したいんだろうか。

 

残り少ない命の灯を燃やして進んでいるのか!なんてね。

 

ここではないどこかへ、というGLAYの曲を思い出す。タイトルしか知らんけど。

 

カブトムシの寿命は三か月らしい。七月上旬に成虫になったとしたら、今生きていても不思議ではない。ただもう長くはないだろう。下手すりゃ明日にもポックリなので、今日臨時に文章を書いた。

 

三か月も飼うと虫でも愛着がわいてくる。最初はどうでもいいと言っていた親父も、今は手にのっけてかわいがって遊んでいる。

 

生き物を飼うというのはいろいろ考えるところがある。何のために生まれて、何をして生きるのか。これアンパンマンね。

 

人生ってのは楽しくなければ意味がない、という持論を再確認するのであった。まる。

 

アクセスありがとう。運気ってのは上がったり下がったり。

ちょっとアクセスあった!♪ うれしー♪ ありがとー(^^♪

 

とキャラじゃない喜び方で始めてみる。名前を出すと迷惑そうだから言わんけどありがとうございます。

 

ちょっとのアクセスがあるだけで喜ぶ俺は子供みたいだ。かわいいもんだ。

 

こうずっとアクセスない状態からちょっとあると、変な癖(へき)ができそうだ。放置プレイ?焦らしプレイ?実はけっこうMなんか?

 

でもさ、こういう小さなことに喜んでるときが実は一番楽しいんじゃないかと思わん?一アクセスに一喜一憂する初心者にしかできない感覚。

 

これが人気者になって一万とかになったら(なったことないからわからんけど)、100アクセス増えてもなんとも思わなくなる、気がする。それってなんか違う気がする。

 

まあそういうのが目的じゃないからどうでもいいんだけど。俺は飲み屋でグダるようにしゃべっていたい。そこにたまに相席の人が来る感じ。いいね、俺の人生の象徴のようだ。

 

ついでに言うと、人気者になるというのは成功者になると同義とは思わない。それは価値観のひとつでしかない。大人になると価値観の多様性というのが見えてくる。主役ばっかりが主役じゃないのよ。

 

人生はオリジナルエピソードだ。周りからはクソみたいな人生に見えても、本人はけっこう楽しいかもしれない。逆もあるかもね。

 

少し酔ってるせいだろうか。なんとなくクサいセリフを吐いてみた。って、それが本題じゃなかった。人生において運が向いてるときと向いてない時がけっこう周期的にあるという話。眠いけどちょっとがんばろう。

 

最近東京に出かけたせいか、気分がいい。で、アクセスちょっとあったというちょっといいことが。その他いろいろラックが上がる。

 

人生を生きていると運の流れ、みたいなものを感じないだろうか。何をやってもうまく行かない、または今なら何をやっても成功しそうな高揚感。

 

こういうのある程度理屈づけられるんだけどね。何か失敗すると気分が落ち込み調子が悪くなる。注意力などが落ちさらに失敗する。逆も然り。でも、そういう理屈だけじゃ説明できない悪いことが連鎖することもある。全然関係ないものがつながる。

 

こういう運命論みたいなものはけっこう信じるほうだ。占いとか非科学的なものが今もあるのもそういう逃れられない運命をどうにかしたい気持ちからかも。

 

ちゃんとした風水ならけっこう信じられるかもしれない。玄関に金のツボ置くとかのデタラメのじゃないよ。こういう霊感商法には本当に気をつけな。

 

風水などは統計学から来ていると聞いたことがある気がする。実際しょっちゅう潰れて何度も店が変わる物件とかもよくある。

 

運命と仮定したら、抗えんよね。うまい抜け道があるかもしれんけど。

 

何が言いたいんだっけ?まあ、運の流れってのはあるから、うまく流れに乗ろう、とムリヤリ締める。寝る。

 

Vtuberにハマってる。人間、才能の差ってのは確実にあるわけで。

こういうの気恥ずかしくてあんま言わんのやけどね、最近Vtuberにハマってる。けっこう歴史が長いので、アーカイブがいっぱいあるので飽きずに見れる。誰にハマってるかはナイショね。

 

で、才能の差、って話なんだけど、その前に、オタクになるにも才能がけっこういる、っていう話。

 

どうもね、俺は生粋のオタクにはなれん。どうにも染まりきれない。けっこう憧れるんだけどね、何かに夢中になれる、生粋のガチオタ。鉄道オタクとか理解できんが、そんなにハマれる好きなもんがあることがうらやましい。

 

Vtuberもかわいいし、おもしろいんだけどね。現実見ると冷めてしまう。かなりの美人であろうアイドルに男がいないわけがないだろう。チャンネル登録者数100万くらいの大人気の人と付き合えるわけがなかろうて。ここら辺てファンにとっては触れてはいけないところなんかな?でも現実だ。

 

こういうハマれることって意外と人生において重要なことなんかもしれん。バカになってなにかに夢中になるか、冷めた目でつまらん人生を送るか。

 

踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃソンソン♪

 

俺も達観した気になってる阿呆。踊ればいいのに。ハイ!ハイ!ってオタ芸でもやってりゃいいのに。そのほうが人生楽しいのに。とりあえず東京そろそろ行けそうだから、アキバに行ってグッズを10000円くらいでも使おうかなあと計画中。なんか金額セコイな。

 

で、本題の才能の話。Vtuberとひとえに言っても、やはり人気が出る子とイマイチな子が出てくる。

 

人気の子を見ると、やはり抜きんでた才能があるな、と感じる。Vtuberはしゃべりが命だから、おもにトークスキル。元の絵も大事だからイラストを描く絵氏も重要。

 

こういうのはもはや生まれ持った才能。努力だけでは埋められない原石。もちろん努力で研磨するわけだが、原石が石ころじゃどうしょうもない。

 

俺自身の才能について話がシフトするわけだが、自己分析すると、才能はそこそこあったかもしれない。あくまでそこそこ。原石が石ころだったんだろう。じゃなきゃこの歳になれば何かしらになってた。

 

やり方はいろいろ間違ってたとは思うが、特に努力の才能かな。最初に言ったようにめちゃくちゃのめりこむものがない。何かやろうとしても、あきる、あきらめる。

 

あれ?なんか暗い話だぞ?時を戻して、才能ある人の話。何万分の一の確率で、原石ってのはいるんだろう。

 

理屈じゃない、NYWパワー(なんだかよくわからんパワー)てのが世の中にはあると思う。ありていに言えばオーラがあるってやつか。

 

いろんな分野でNYWパワーは働く。血のにじむような努力をして甲子園に出れてもプロ野球選手になれるのはごく一部。大谷レベルなんてホントにNYWパワーのおかげだろう。

 

俺の歳になると人生あきらめるのに充分だが、若者はそうはいかないだろう。NYWパワーを信じてがんばる。大変ですなあ。

 

ま、人生で何をするのも人の勝手。じんせーたのしけりゃいいのよ。

 

ブログとかもう終わってんだなあ、という話。

アクセス0。アクセス0。アクセス0。アクセス0。アクセス0。アクセス0。アクセス0。アクセス0。アクセス0。アクセス0。

 

このブログ、アクセス0。これじゃあやる気もくそも出ない。だって見る人いないんだもん。電波の無駄使い。

 

ツイッターとかのほうがまだマシだと思う。あそこならハッシュタグつければいいねが少しもらえる。全く見られないこのブログよりははるかにマシだ。

 

そのツイッターにこのブログを宣伝すればまだちょっと見られるんだろうけどね。それも俺の求めるものとちょっと違う。

 

なんか偶然の出会いみたいのに憧れる。たまたま見つけたこのブログを読んだらけっこう面白い、またそのうち見てみよう、的な。

 

昨日のお笑いのネタでちょっとやってた、ボトルを海に放ってそれを見つけた人と交際するみたいな。昔はやってたらしい無線機を使って偶然会った人と話をする。そんな感じに憧れるのかもしれない。

 

アクセス0と比べたらYouTubeのほうがマシなんだな、と今は思う。あれはひどい動画でも再生数10くらいは行く。ただねえ、YouTubeの仕様で再生数まるわかりなのが困る。恥ずかしい。再生数10万がいっぱいのところで10なのはさすがに劣等感抱きまくる。せめて再生数見られるのにワンクリック置ければまだやる気でるんだが。

 

ちなみに俺、文字を入れたりそこそこのエフェクト入れるくらいの動画編集ならできるのよ。AVIUTLならそこそこの使い手。無料だから遊んでみなさい。

 

さっき言ってた無線機みたいな、インターネットの黎明期のサイトめぐりを思い出す。なんとなくリンクをたどってみたサイトが面白かった。ブックマークしとこう。2021の今ではツイッターなどに集中しててそういうのも廃れた。

 

…分母が違うんよ。昔はインターネットにサイトを作るのは一部のマニアックな技術者で発信者自体が少なかった。今は逆でツイッターなんかアカウント作るだけで誰でも発信者になれる。1/100くらいだったのが10000/100くらいになってる。(。´・ω・)ん?逆か?とにかく発信者が多すぎる。アクセス0なんて10年前のヤフーブログですらなかった。

 

以前と比べて俺の口が悪くなったという根本的な原因もあるかもしれんが。人の目を気にしなくなっただけで中身は変わっとらんのだがね。ひろゆきうぜえ。

 

と、グチグチ言ってるうちになんだかんだ文章書くこと自体けっこう楽しいことを思い出した。ただアクセス0はなあ。しつこいね。

 

ま、この文章をいずれどっかの誰かがなんとなく見てくれることを願って。ハッシュタグテキトーにつけとくか。

 

なんとなく1000文字で終わらせる俺。なんとなく作った顔文字→→(φ゜ω')y